精子学の遅れによる不妊治療の危うさ
精子学の遅れが顕微授精を普及させてしまいましたが、精子の質(精子機能)を無視した顕微授精は、安全とは言い切ることはできません。
最近、「精子の問題」が少しずつ話題にされるようになりましたが、未だに妊娠できない原因は女性の問題と思われ、「卵子の老化」ばかりが注目されている現況にあります。
『卵子』をはじめとする女性側の生殖・妊娠に関する研究は、産婦人科領域で長年にわたり盛んに行われてきましたので、その結果、現在では質の良い卵子の形成を可能にする「排卵誘発剤」を始めとする様々なホルモン製剤が開発され、女性不妊の治療成績は飛躍的に向上しました。
一方、『精子』の研究は、男性側の生殖を専門にする泌尿器科領域においても着目されないままに時が流れ、卵子学の進歩に比べて精子学の研究はかなり出遅れました。その結果、生殖医療従事者の中でも『精子に関する正確な知識・高度な技術・高い経験値』を持つ者が極めて少ないというのが現実です。その背景が、どの様な精子かという精子の質(精子機能)を無視した現状の顕微授精の普及を促してしまったのです。
具体的に「どういうことか?」といいますと・・・
一般的に「運動している精子を1匹でも確保できれば、顕微授精で妊娠・出産を期待できます。顕微授精が精子の問題を解決しました」と語られていますが、実は、安全な生殖補助医療を実現させるためには、精子数や精子の運動率だけではなく、見かけだけでは見極められない、隠れたところに潜んでいる多様な精子機能異常の正確な把握(精子品質管理)こそが重要なのです。これまで精子性善説、すなわち「運動精子=良好精子」と考えて顕微授精が行われてきましたが、ヒト精子においては性善説で考えるべきではありません。つまり、良好精子とされる「楕円頭部の運動精子」の中にも、DNA損傷や頭部に空胞を認めるもの、さらに卵子に侵入する機能が障害されているもの等の多様な異常が潜んでいるため、運動しているということだけでは、全ての精子機能を保証できないということです。
顕微授精という技術は、単に精子の数が少ないという精子の量(精子数)的不足を補うことはできますが、DNA損傷をはじめとする精子の質(精子機能)的異常をカバーすることはできませんので、実は 顕微授精は精子の状態が悪い方には最も不向きな治療になります。本来、顕微授精を実施する前に精子機能の精密検査を行った結果、精子が質的に良好(精子機能が正常で高品質である)、すなわち穿刺注入できる安全なレベルの精子であることを確認することが必須であり、品質管理し得た精子が用いられることが顕微授精実施の前提となります。しかし、一般的にこれらの前提が普及していない現況にありますので、実は顕微授精の実施はより慎重であるべきなのです。精子機能が異常である運動精子を用いて顕微授精を行った結果、妊娠・出産できたとしても、生まれてくる子どもへのリスクに繋がる可能性は否定できません。リスクマネージメントの観点から、DNA損傷をはじめとする多様な機能異常精子を積極的に排除する技術が必須なのです。それにもかかわらず、その技術努力が極めて乏しく、精子機能を無視した現状の顕微授精は安全であると言い切ることはできません。この点を解決しなければ男性不妊の問題は解決しません。
胚盤胞培養のリスク
胚盤胞培養は、安全とは言い切ることはできません。
一般的に、胚盤胞までの体外長期培養が標準化して行われていますが、実は『胚盤胞培養にもリスク』があります。具体的に言えば、胚盤胞まで培養することにより、遺伝子発現を調節する仕組みに異常が出る『エピジェネティクス異常(DNAメチル化異常)』や『発生異常(発癌性)』のリスクが生じる可能性があるということです。
実は、胚盤胞はすでに胎盤側と胎児側に分化していますので、胚盤胞を凍結することにより、分化した胎盤側と胎児側の細胞が圧着されます。また両者(胎盤側と胎児側の細胞)は遺伝的にまったく同一ですので、胎盤側の細胞が胎児側の組織に付着して混入する(混ざり込む)という現象を起こすリスクを持ちます。この現象は、将来的に癌(胎芽性の癌)の発生率を上げる可能性があり、安全であると言い切ることはできません。この重要な点については全く着目されず、議論されていない現況を危惧しています。
ですから、出生児の安全確保の観点から、胚盤胞まで長期培養して移植することはお勧めしません。リスクマネージメントの観点から、より未分化な初期胚の時期での移植をおすすめします。
胚盤胞凍結胚移植のリスク
胚盤胞凍結胚移植は、安全とは言い切ることはできません。
一般的に新鮮胚を子宮内に移植する傾向よりも、胚を一度凍結してから改めて融解して子宮内に移植する凍結胚移植が汎用されています。胚を凍結する際には、胚が壊れないように高浸透圧の凍結保護剤を使用して水分量を減らす(脱水)必要があります。
胚の凍結保存の方法としては、2006年に「ガラス化法」と呼ばれる技術が登場し、細長い容器の上に凍結保護剤で包んだ受精胚をのせてマイナス196℃の液体窒素につけて一気に凍結させています。ただし現時点では、ガラス化法は安全であるとは言い切れません。確かに蘇生率は高く、すでに妊娠、出産に至ることは確認されていますが、実は出生児の長期予後に関しては全く不明なのです。
先ほど申し上げたように、胚盤胞の凍結保存により胎芽性の癌の発症率を上げる可能性を否定できないのも事実であり、出生児の安全確保の観点から胚盤胞まで長期培養して凍結保存することはお勧めしません。リスクマネージメントの観点から、胚を凍結する必要がある際には、より未分化な初期胚の時期に凍結保存を行い、融解後に追加培養して胚盤胞に進ませる方が まだ安全であるといのも事実です。