ヒト精子の特殊性

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ヒト精子のDNA修復機構は特殊である

人間の体を構成している数えきれないほどの細胞(体細胞という)には、個体をより良い状態に保つために、細胞の一部が積極的に自殺します。その一形態として、管理・調節された細胞の自殺、すなわちプログラムされた細胞死があります。これを「アポトーシス」といい、DNAの損傷を引き起こしますが、遺伝情報を正確に伝達するために傷ついたDNAを修復する機構が備わっています。だからこそ、細胞の正常性が維持されて健康が守られているのです。この人間が健康に生きていくために必須であり極めて重要な仕組みが「DNA修復機構」なのです。例えば、皮膚や肝臓などの一般的な体細胞では、DNAが多少損傷しても細胞自身が持っているDNA修復酵素によって修復されます。
精子の発生 精子の発生
体細胞のDNA修復機構はヒトの卵子においても同様ですが、ヒトの精子のDNA修復機構は一般の体細胞とは異なります。精子は形成過程でアポトーシスを誘発するので、その結果DNAが損傷されますが、第2減数分裂後期以降(図参照)で、DNA修復能(DNA修復機構)を失うため、正常の精子形成能力を備える男性でも、一部の傷ついた精子DNAは修復されないままDNA損傷精子として一定の比率で、射精精子中に混在してきます。すなわち、ヒトでは精子性善説が成立しないのです。特に、ARTの治療対象となる造精機能障害の場合には、精子DNA損傷率も高い傾向を認め、その背景には遺伝子の問題が関与していることも多いのです。
その頻度と程度は個人差が大きく、精子毎に大きく異なります。そして、精子側のDNA損傷は、卵子に侵入した後に卵子側のDNA修復機構に依存して修復されますが、体外の培養液中でどの程度修復されるかは不明です。
もしアポトーシスが誘発されたDNA損傷精子が未修復のままの状態もしくは不完全に修復された状態で顕微授精により卵子に穿刺注入されると、卵子側のアポトーシス情報伝達系が活性化されて胚DNA損傷を誘発する可能性があり、それは染色体異常に繋がります。その一部は流産により淘汰されますが、一部はそのまま発育します。
これまで不妊治療の研究領域での精子の研究は、家畜繁殖領域(ウシ)において盛んに行われ、この領域の成果がヒトARTに導入されてきましたが、ここに大きな落とし穴がありました。なぜならば、ウシ精子の品質(DNAを含む精子機能)は極めて良好であり、精子間にバラツキがない種オスが選抜されて一括して精液を提供し、これを用いてデータを取ってきましたので、ウシ種オスでは精子性善説(射精された精子の中のどの精子においても全ての精子機能が正常である)が成立しているからです。

ヒトの場合には精子性善説が成立しません

ヒト精子においてもウシ種オスと同様に「運動精子=良好精子」という精子性善説が大前提になっていますが、上述したようにヒトの場合には精子性善説が成立しませんので、ヒトでは見た目の精子数や運動率だけでは良い精子を見分けることは不可能であり、見栄えの良い元気そうな運動精子の中にもDNAが損傷されていたり、受精する能力が障害されていたり、多様な機能異常の精子が含まれているのも事実です。繰り返し申し上げますが、ヒトの精子機能異常の背景には遺伝子の問題が関与している場合が多く、ヒトの場合には良い精子は数や運動率などの見かけだけでは品質(機能)を評価できないということです。
2009年には日本産科婦人科学会においても、精子数や運動率は必ずしも精子の質を直接反映するものではないとコメントしています(下図)が、多くの不妊治療施設では、世界保健機構(WHO)がまとめた精子数、運動率、頭部形態等を指標として精子側の妊孕力(女性を妊娠させる能力)を評価してきました。

日本産科婦人科学会雑誌 Vol 61,No.6, N-189, 2009

4.不妊症
一般精液検査は精液や精子の量的性状を示しているだけであり、必ずしも精子の質的性状(受精能力)を直接反映するものではないことに留意する

上述したような理由で、ARTとくに顕微授精において、DNA損傷のない精子(DNA非損傷精子)を穿刺注入することが不可欠になりますが、ウシとヒトとの病態モデルは大きく異なることが十分に認識されないまま、言い換えれば、ヒトの精子特有の性質が十分に認識されないまま顕微授精が汎用されている現状が、出生児へのリスクに繋がっている可能性を否定できません。
ヒトの場合には精子性善説が成立しません

実は、10年程前から欧米では、顕微授精により出生した児の先天異常率が自然妊娠に比べて有意に高いことを報告しています(図参照)。日本においても2011年には、生殖補助医療による出生児に関する大規模調査から、顕微授精・胚盤胞培養・胚盤胞凍結保存の人工操作を加えるほど出生児体重が増加することを報告しています。これは、ゲノムインプリンティング異常(遺伝子の働きを調節する仕組みに異常が出る病態)による胎児過剰発育である可能性が指摘されています。

ヒトの場合には精子性善説が成立しません

先天異常を専門とする医師や研究者らも
度々に顕微授精や胚盤胞培養のリスクを危惧する研究成果を
報告していますが、
この極めて重要な問題点に対する認知度が
決して高くならないまま今日に至っているのが日本の現況です。

今のところ、精子DNA損傷と顕微授精、先天異常の因果関係が明確に証明されたわけではありませんが、明らかになっていないからこそ「命を造り出すARTでは疑わしきは避けるべきである」という考え方が医師である私の臨床基盤にあります。ARTにおいて、安全が全てに優先します。ヒト精子の特性を踏まえた上で、質の高い安全なARTを目指して開発した精子側の技術が黒田メソッドです。
ARTの安全性保証において、染色体、DNAの半分を提供する精子の選別は極めて重要であり、DNA損傷精子に関しては、高度な精子分離技術により排除することが不可欠です。さらに体外培養環境の不備も胚DNA損傷を誘発しますので、DNA保護の観点から卵子・胚培養条件も最適化に努めなくてはなりません。
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